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Noblesse Oblige と Japanese Elite

このブログではあんまり個人名を出さないのだが、今回は内容も公表されているし、良い内容なので個人名をあげてのエントリーである。

香港の高級スーパーであるCity Superの経営をされている荻野氏が日中青年交流センターというプロジェクトに参加されている。実は香港にいるMBA生に対してのサポートもしていだたいているのである。

プロジェクトの目的は簡単に言うと日中の大学間で交換留学生を増やし、相互理解を含め、真の日中友好を深めようというもの。自分も中華圏で働き、大学院にも行ったのでこのプロジェクトには興味を持っているし、直接かかわっているわけではないが、草の根で交流、友好になる活動をやっている(つもり)。

これに関しては早稲田大学の発表記事を見ていただきたい。
http://www.waseda.jp/jp/news12/130118_wish.html

で、今回のエントリーはこのプロジェクトのキーとなる寄付金についての話。合計で数十億のプロジェクトなので、寄付金集めに難航しているのであるが、その理由の一つが日本では寄付をする文化、してもらう文化が無い、もしくは弱いというもの。

香港にある大学を見ると寄付者の名前がついている建物がごまんとある。寄付した人はこうやって名を残すという満足が得られ、学校側も寄付金で建物を建てることができる。

日本は相続税が高すぎたり、寄付金控除の仕組みが弱かったり、こういう名前を残すという習慣がなかったりと寄付する文化が根付かないという話がある。確かにその通りだ。
ただ、それ以外にも以前自分がかなり納得のいった説明があったのでそれを紹介したい。

たしか某作家が文藝春秋に書いた記事だったと思う。

欧米のエリート(貴族等を想定している)は代々資産を受け継いできて、彼らは自分の生まれた家や地位が恵まれているものだと認識している。その資産や地位はその社会があるからこそ成り立っているのであるので、寄付という行為を通して社会に還元するという習慣がある。ローマ時代は裕福な元老院メンバーやコンスル等が自腹でインフラ工事を行っていた。これをnoblesse obligeという。

新興の金持ち(IT長者等)もそういうエリートを見ているし、自分たちがビジネスで儲かったのは社会あってこそとわかっているので還元しようとする。

一方、日本のエリートはいわゆる学歴エリートが多く、東大を卒業して、ビジネスマンになったり、官僚になったりして財産を築いたので、それは生まれつきの家や地位ではなく自分の努力によるものであると考えがち。そのため社会に対して還元しようという発想が弱いということらしい。

欧米の貴族と日本の学歴エリートの築いた資産とでは比較にならない思うが、それは置いておいて、言いたいことはなんとなくわかる。

ところで、今は日本に住んでいるわけじゃないので、日本で所得税を払っていないのだが、税額控除や所得控除がかなり認められるのであればどんどん寄付をしたい。

寄付の良いところは、自分が必要と思うこと、共感できることにお金を回せることだ。正直、高齢者の医療費や年金に税金を持っていかれるよりも、保育園や託児所の充実、高等教育の充実の為にお金を配分したい。

良い悪いは別として、尖閣諸島購入案を石原元知事がぶち上げた時、十数億の寄付金があった。つまり自分が必要だと思うことに関しては寄付をするのである。日本における寄付習慣を変えることはそんなに難しいことではないのかもしれない。


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